2022年11月アイアンマン・ランカウイにて、
年代別1位に輝き、晴れて2度目の
アイアンマンハワイの出場権を
獲得した阪本さんの以下の4大会の
参戦記をお届けします。
・2022/9/4:佐渡国際トライアスロン大会
・2022/9/25:榛名湖マラソン
・2022/10/9:越後くびきのマラソン
・2022/11/5:アイアンマンマレーシア(ランカウイ)
2022.9.4 佐渡国際トライアスロンに参加 阪本茂樹
2018年の佐渡トライアスロン参加から4年間過ぎました。また2019.10月以来のトライアスロンの参加です。今回はどういう結果になるかわからないという一抹の不安の中、2018年の結果を鑑み最悪でも今回は、15時間で帰ってくれば万々歳と思っていましたが、何と15時間半がロングの制限時間です、気持ちの上でもこんなになってしまったのかとがっかり。このままタイムが落ちていくのか、現状で行くのか、若いころの記録に近づけるのか、これからが自分としての正念場です。でも今回は最悪制限時間内(15時間半)に完走できれば少しは自分をほめてもいいのではと思いなおしました。1年で30分記録が落ちて行きます。
2019年の後半から足が痛くなり(モートン病、中足骨骨頭痛)練習にも支障をきたしていました。約10km走ると足が痛くなり、とてもそれ以上は走れませんでした。原因を調べいろいろ治療してみましたが、よくなることもなく、また練習方法等が見付けられず、これで俺の選手生命も終わりかなと思うにいたりました。最近は、25kmくらいなら何とか走れるもののそれ以上は、だまし、だましスローで走る状況です。
さておいて、今回の佐渡トライアスロンは、今までのトライアスロンで一番疲れた大会でした。但しスイムは波もなく、おだやかで水温も高く冷たくも寒くもなく気持ちよく泳げた。記録は1時間45分を予定していました。何だか年々全てのタイムが落ちていく、練習しても練習しても遅くなるし、しなければもっと落ちていく、しまいにはギブアップになくなりそうである。3年間のブランクをもっての不安なトライアスロン、不安なスイム、自転車、ラン、しかし、今年からは、コロナに関係なく日本、世界で開催されているトライアスロンと思うと、いたいとか疲れたとか言ってはいられませんね。俺の場合、やみくもにやるしかないと思います。先がありません、今が大事です。
今回の参加は高トラの方たちと一緒です。ララン藤岡に5時集合、2台の車に総勢9名にて新潟港に向け出発。新潟港でPCR検査の陰性結果を提示、乗船します。何だか今年は選手を含め乗船者が少ない感じがします。3時間くらいで両津港に到着。台風11号とはうらはら蒸し暑いです。早速会場に足を運びます。登録関係書類等は一式既に郵送で送られてきていますので、会場を後にし、本日の夕食、大会当日の朝食を近くのスーパーに買い出しに行きます。レース前日では、私は、酒は飲みません、テントで一緒の(チームマインドの)2人は缶ビール等を飲みながら夕食です。早朝3時起きの為、20時にはテントに入ります。少し余裕のある5人用テントでしたのでゆっくりでき、みなさんもいびきはかかず気持ちよく寝られました。
3時に起床、早速朝食、レトルト、缶詰関係ですが致し方ありません。トイレも済ましレースに必要なものをもう一度確認、4時半にスタート地点に行き、自転車をラックに掛けます。レース番号は年代順になっていますので、まわりは同じ年位の方たちでいっぱいです、よくまあ、この年までトライアスロンのロングに参加するなあと感心しながらも自分も参加しています。ウエットスーツは3年ぶり、3年間一度も腕を通していません、着られるか不安でしたがすんなり着られました。さてスタート地点に選手がぞくぞくと集合、2杯水を頂きます。また、試泳を行い、スタート地点での号砲をまちます。
予想タイム15時間で、何とか完走したいです、タイムリミットは15時間半。
スイム:4km 1:31:04 予想タイム:1:45
号砲とともにスタート時895人(男女)の選手が一斉に海に飛び込んでいきます、この光景はなんと美しいのでしょうか。トライアスロンの醍醐味でもあります。ぜひユーチューブでご覧ください。一斉スタートですので最初からバトルの連続、致し方ありませんが、時差スタートをしていただければありがたいですね。選手の上に乗ったり、乗られたり、腕が当たったりしますが、まけず、めげず泳ぎます。最初のターンまでが長いです。スタート前にコースを確認している時もながいなと思いましたが、ほんとに長いです。
第1コーナーを曲がり(スイムは全て右回り)バトルの中を気持ちよく、第2コーナーに向けて泳ぎます。波もなく、水温も高く、まだ早朝で穏やかな天気ですのでバトルと言え、気持ちよく泳げます。第2コーナーを曲がると右から朝日がゴーグルを通して目に入ってきます。スイムは2周回です。浜辺に近くなると海の中に六脚ブロックがみえてきます。やっとスタート地点に上陸だ、水分補給をする。もう1周回あるぞ、気持ちを取り直してザブーンと飛び込みます。私は水泳が遅い方なので、後方に選手はいなくなり、だんだんバトルとは無縁になりますが、でも少しバトルです。トライアスロンでこんなに気持ちよく泳げるスイムは初めてです。また2周回してもそんなに疲れた気持ちに成りません。浜辺に駆け上がり、シャワーの場所で、ウエットスーツを脱ぎ、砂を落して自転車のスタート地点まで小走りです。俺の周りに自転車はもうない、年代順ですが最後の最後なのでしょう。
バイク:190km 8:10:17 予想タイム:8:30
なにくそと、自転車に飛び乗りこれから190kmの長旅である(大佐渡~小佐渡)、何度も参加しているのでコースはわかっているが、何しろ「佐渡を制する者は日本を制する」という言葉が日本のトライアスロンにある。最初は飛ばさず、但し、ユックリだと最後までゆっくりになってしまうのでまずい。何しろ不得意の自転車とはいえ、最初ですから気持ちよくペダルをこぎます。もうそろそろ50kmZ坂だ(標高100m)、最初からゆっくり、何だかわからないが気持ちよく上れた、おかしいね。Z坂の後の亀岩の方(標高100m)が難所です。でもそれなりに上り切ります。あと両津港まではなだらかなアップダウン、佐渡の海岸線を走るのですからいたしかたありません。自分で用意したペットボトルは濃すぎて飲めません1口飲んでやめ、水を補給します。ここまで梅干し2個、カーボ2本。これから残り後半100km、これからはよりアップダウンが多くてきつい、自分の順位がわからないし、時計もあまり見ない、まだ痙攣が来ないのが唯一です。水津ASでおにぎり3個と水をいただきます、このおにぎりは力になりました。赤泊にきたので、食べ物はと思いきや、チョコと飴、遅い為おにぎりはもうありません。速い選手にたべられてしまいました。これはがっかり小木の坂(標高140mと90m)がまっているというのに、トライアスロンはおそいといいことありませんね。支給される水も生温かいです。
でも、この二つの坂を上りきれば後は下り坂。でも上りきった後の平らなところでもスピードが出ない。脚が重い。なんだ、こりゃ。あと残り20km痙攣が来ない。有り難い。(ゴールしてわかったことですが、このタイムでは痙攣がこないわけです、予想はしていたもののこんなに遅くなるとは、なさけないですね、何しろゴールです。コール近くになると、沿道、まわりからお疲れ様、あとランニングだけですよとの言葉、最後のランニングが大 変なのですが、でも声援をいただき、有難うございます。自転車をラックに掛けます。
ラン:42.2km 4:38:11 予想タイム:5:00
最後のマラソン、今回は海岸線を6周回(1周7km:沢根漁港が折り返し地点)何周回したか覚えていられるのかな、時計で距離を計測しなければと思い、スイッチをいれる。20kmまでは本当に調子が良く、このままいけるのかと不安と、期待 水とカーボを頂きながらの20km。モートン病、中足骨骨頭痛もきません。と思いきや、何のことはない25km位からスピードがガクンと落ち始める。ほれみたことだ、今までの貯金を食いつぶすありさまです。30km、これはやばい、走っているのか、歩いているのかわからない有様です、若い方が私をすいすいぬいていきます、俺も少し前まではこの若者と同じでした。加齢とともにこんなになってしまうのか、速くゴールに駆け込みたい一心、脚を進めるが、まったく進んでいない。周回マラソンは初めての経験です、今回のトライアスロンの最後の6周回というのは足、腰に来る、疲れが半端でないですね。でも、今回の佐渡トライアスロンは、来年、再来年のトライアスロンの参加を考慮する意味で、どうしても参加しなければなりませんでした。前にも述べたように佐渡は2018年が最後、2019、10月がトライアスロン参加の最後、今日までトライアスロンには参加していません。
何しろ、くどいようですが2019年以降、モートン病、中足骨骨頭痛に悩まされ10km走るのがやっとの状態、走ると痛さがぶり返す状態で満足走れませんでした。今でも長距離を走るとぶり返します、いろいろ調べてみましたが、治るとの保証はみつかりませんでした。こんなんでトライアスロン人生が終わってしまうのかと、唖然とした状態で日夜悶々としていました。
さて商店街の明かりと声援が聞こえてきました、残り500mです。やっとゴールまで来ました、芝の上を駆け上がりゴールめがけてキャップをとりサングラスを上にあげゴールの壇上を踏みしめゴールに向かってテープを切りました。お嬢様たちからメダル、完走タオルを頂き用意されている椅子にどっしり座りこみました。こんなに疲れたトライアスロンは初めてです。遅い選手ほど長時間体を使っているので疲れがひどいのですね。よくわかりました。
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ゴール後、仲間たちと、記念撮影、近くにキャンプをはっているので、キャンプ組3人と自転車、荷物をもって帰ります、他の仲間は13km離れた旅館まで、車で帰りました。
元気のよい仲間が、帰り道、ビール、他飲み物が500円で飲めるというのを見つけ、佐渡トライアスロンの締めくくりとしての花火を見ながらビール1杯、ハイボールW1杯、焼き鳥を頂きました。テントでもビール1缶飲んで、体はきたないが、そのままで寝ました。やっと終わった。
翌朝、またまたビール、ハイボールをのみながら朝食です(米、缶詰)
朝食後、アミューズメント佐渡で表彰式を見ます、我々の仲間が年代別2位です。立派ですね私より1時間速いです。素晴らしいですね。私と言えば、表彰会場で集まった全員でじゃんけんをします。私は最後まで勝ち残り日本旅行の1万円分の旅行券を頂きました。そのあとはみんなで温泉に行き汗と涙を一気に洗い流します。
夜は18:00~会場近くのスナックで夕食、カラオケ、
みなさん元気のいいこと、さすがトライアスリート。飲み疲れ、食い疲れで今日もテントでバタンキュー朝までぐっすり、朝食は米、パン、缶詰食べ、最後にテントをたたんで両津港へ出発、両津から新潟まで約3時間、船内でビールとカップラーメンを頂きます。体重、血糖値は高値です。
新潟港から高崎間まで一度休憩してララン藤岡。そして解散、運転手さんありがとう、みなさんご苦労様でした。
【2022.9レース結果】
気温27.5度 水温28度 スタート895人
完走647人 完走率72.3%
阪本茂樹 14:24:22 422位 年代別4位
S:1:31:04
B:8:10:17
R:4:38:11
【2018.9レース結果】
阪本茂樹 13:00:58 年代別7位
S:1:28:34
B:7:42:19
R:3:50:05
2022.9.25(日)
今日榛名湖マラソン3時間41分43秒でした。年代別7位。8位迄表彰参加賞(ラスク1缶、マンナンライフ4個、クールタオル)がもれます。予定では4時間前後で帰れれば最高と思っていました、でも自分としては最高の出来です(痙攣)。でも課題満席です。今日夜はは、酒を飲んで心を癒しています。10月連休は100kmウルトラが手ぐすね引いて待っています。時間内に完走できればと思っています。どうなることやら。
越後・くびき野100kmマラソンに参加して(10月9日(日)5:30スタート)
タイム:11:13:20 総合197位 男子175位 年代別1位(5歳刻み)
10月8日(土)午後2:00に自宅を出発、片道約200km上越まで信越道を使っての旅。いつもお世話になっている喜久屋に2時間半後到着。明日の準備、夕食、8時には布団に入ります。翌朝3時半起床、朝食を頂き、PCR検査結果をスマホに登録した後、4時45分会場に着。1週間の体温結果、それとスマホを提示し会場に入場します。
すでにナンバーリング、着替え袋などレースに必要な物は一式送られており、レースの号砲を待つばかりです。今回はウエーブスタート(A:4:30~14時間制限、B:5:00~13時間30分、C:5:30~18:30迄の13時間制限、D:6:00~12:30分制限)です。100kmの部は約2,000人近い選手がリージョンプラザ―上越~ユートピアくびき希望館を目指して、前半3山、後半3山をアップダウンします。この山が何とも言えない辛い山です。エイドは5km毎、給水は3km毎で非常に充実していて何も食料等身につける必要は有りません。私は、ソバ、おぼろ汁、シイタケ汁、くじら汁、味噌汁、おにぎり、麦茶、水で全工程を走りぬきました。
私の場合、ナンバーD166:5:30号砲とともにスタートです。ウルトラとはいえ、マラソン同様出足は速いです。後ろの方から速いなという声が聞こえてきます。今回の越後くびき野100kmは7年前に走りましたが時がたっていますので今回はあまり勝手がわかりません。それより100kmも走れるのか不安の大会です。9月上旬佐渡トライアスロン、下旬榛名湖フルマラソンそしてこの大会、制限時間オーバー、途中リタイアーしたとしても致し方ないと自分に言い聞かせ走りつづけます。最初は5分20秒/kmですが、少々速いので30秒に落とします。何しろエイドが充実しているのでご気楽気分で走りますが、Dランクといえ結構選手たちは速いです。30km行くとBの最後尾の選手をとらえます、40kmから少々上りになり、先ずはエイドで、腹ごしらえ、選手でいっぱい、これから車も登らない急な長い坂をこの足で上ります。上りきると急な下り坂、膝に来ます。前半これを3山、42kmで着替えができますが、雨も降っていないのでそのまま走り、食べるものは食べて走り抜けます。これからが本番、後半2山で終わりと思っていましたが3山です。
後半ここまでくると何も考えず、ただただ走るのみ。心肺機能は大丈夫ですが、首が少々痛くなります、また下半身の動きが固くなるのを感じるようになります。
トイレは全工程でトイレブース2回、立ション1回です。最後の30キロ時点では、頑張れとの声を掛けられても全く反応できません。ただただ前を向いて走るだけです。横を向くと何だか首が痛くなります。長時間真っ直ぐ前を向いて走っているため、首が固定されてしまって動かすことができないのです。
エイドステーションのボランティアの女性の方々も、なんでこんな大会に参加するのだろうと、半ばあきれた、憐みの表情がくみ取れます。本当にその通りです、しかし私は走らなければなりません。最後の10km、5kmの長い事、30km位に感じさせられます。でももう少し、もう少しと足に言い聞かせます。ここまで来るとどんなことがあってもリタイアーだけはしたくない、何しろ這ってでもゴールをするのだと言う気持ちが勝ります。(いたいというより、足腰が1本の棒のようになっています)
残り3km位になるとゴール会場のにぎやかな音楽、アナウサーの声が少し聞こえ、だんだん大きくなってきます。もう少しだ、もうすこしだと自分に言い聞かせます。沿道にも選手の家族、応援団、地元のかたたちの声援が飛び交い何となく目頭が熱くなるのを感じます。この年で俺も100km走れるのだ、あと何年走れるのか、なんとなく、声援に押されながら心の底からこみあげるものがあります。ゴールテープが見えます、「群馬県からおいでの6 才の阪本茂樹さんがゴールします。お疲れ様でした。」アナウサーの方有り難いです。有難う。
但し、私だけ年齢をアナウスされました。他の選手はされません。年配者のゴールだからだいぶ気を使ってくださったのですね。
ゴール後椅子にどっかり座ります。年代別の表彰は有りません。結果は60才以上7番、65歳以上1番でした。
ユックリはしていられません、ゴール後1時間以内に会場を後にしなければなりません。
15分位でバスに乗り込みリージョンプラザ―上越(スタート会場に向かいます)夕方から雨予報でしたので、その前にゴールしなければと一生懸命走ったのですが10km頃からポツ、ポツと降りだし、ゴール時は結構降られました。バスから降り、つかれているせいか秋雨は非常に冷たく、車まで歩いて帰るのに難儀しました、早く帰って旅館の風呂に入ろうと言い聞かせ、震えながら帰還しました。早速、おかみが「阪本さんすぐに風呂がわくからそのままはいりなさい」とのやさしい言葉をかけていただき、体も芯からあたためられ感謝しました。他の選手もぞくぞくと帰ってきます。私は、ビールを1本頂き、冷酒を2本頂いたら前後見境がつかなくなり階段からころげ落ちてしまい、そのまま布団にかつぎこまれました。翌朝は首(鞭打ちぽい)と、右肘(筋を痛めた)がいたく、但し脚自体は通常に歩けました。旅館のおかみにお礼を言って新潟、越後くびき野をあとにし来た道をそのまま高崎に向かいました。その足でジムにより体をいやし、昼食をとり帰宅です。非常に疲れた楽しいレースでした。
アイアンマンマレーシア(ランカウイ)に参加して 2022・11・5
11月2日4:30自宅を出発、少し速いのですが、高速等の渋滞を考慮して成田に向かいます。関越を走り、東京外環自動車道、京葉道路、東関東自動車道、成田、駐車場は7日間4.200円でお願いします。(管理された広いパーキングに駐車:キーは自分で管理)成田第二空港ターミナルまでバスで移動します。空港では何人か自転車ボックスを引いている方を見附けます。
私と言えば、11:05分成田発クアラルンプール行、座席はソシャールディスタンスを考えた座席指定です。機内では、朝食にビール等が出る長旅ですがますが、私はアルコール類はご遠慮しました。
クアラルンプール到着後、今回は、航空機の都合、クアラルンプールの空港内ホテルで一泊します。夕食はクアラルンプールの飛行場内、朝食は、ホテル内で和食、洋食何でもアリアリです。お腹いっぱい食べます。体重が気になります。今回は8人のツアーですのでみなさんと和気あいあいです。
9:00出発(マレーシア航空)お昼ごろにランカウイ着、さすがに肌がひりひりする暑さを感じます、空港には現地の添乗員が待機しており、レースでの受付(パスポート)、レース会場の視察(T1:スイム会場、バイクでの1周)、そしてホテルへ向かいます。
自分の部屋で自転車が壊れていないかを確認しながら組み立てます。一応OKです。朝食前に早朝自転車の試し乗り20km、ランの試走10kmをします。何だか自転車のDHバーの調子の具合が悪いのです。
大変なことになっていました。右側DHバーを受けている止めボトル2本の内1本のメスの方にオスボトルで絞めても空回り、メスの穴が崩れています。閉まりません。これは困った。最初は2本閉まらなかったのですが、やっと、どうにかこうにかで1本しまりました。これでは、右DHバーに肘をのせられない。のせているとボルトが緩んできてしまいます。これでは力が入らない、でもこのままでは後輪のギアチェンジができない、台座が動かないように受けボルトの穴に養生テープを詰め込みテープでふたをし、膝をのせず、ギアチェンジするしかないと自分に言い聞かせ、最悪、レース不参加、又は自転車でリタイアーを覚悟しました。みんなにも説明するものの、説明の仕方が悪かったみたいでした。しかしDHバーを見たらこれで走れるのか、危険ではないかときかれましたが、行くところまで行くしかないと覚悟をしました。レース前日、自転車バッグ、自転車、ランバッグをだいてシャトルバスに乗り、スイム会場(T1)に向かい、自転車バッグ、自転車を指定の場所に預けます。試泳をしている方もおりますが、私は5年前にきているのでしません。昼食頃になりますが、朝食でお腹いっぱい食べているのでそんなにお腹が減りません。昼食はスルーです。夜食は皆さんと一緒に、外食です。その後ホテルで明日の準備確認。21時に布団に入り、翌朝3:45起床、4時朝食、レース当日は、弁当つきですが、食べられず、冷蔵庫にお土産としていれておきます。朝食は、サバの缶詰(醤油付)、カステラです。
4時45分タクシー2台にてスイム会場(T1)に向かいます。食料を自転車に積込みます。天気が曇りでしたのでタイヤに空気は入れませんでした。2度目の脱糞のあと(ペーパーは各自持参)水分を取った後、スイムの始まりです。先ずはハーフ(70.5)の選手からのスタート、林の陰に隠れてよく見られませんが、スタートの音は聞こえました。
スイム: 結果1:28:09 予定1時間35分 2017実績1:21:12
7時45分、今度は我々アイアンマンエイジ別の番です、5,6人の選手が3秒ごとのローリングスタートです。スイムは事前の申告順です。私は2番目のキャップ(ピンク)で最初のほうからスタート、少しは選手同士のバトルがありますが、波もなく気持ちよく泳げます。相変わらず、最初の方で平泳ぎがいますね。第一コーナーを曲がり、あとは直線1km、何メートル毎に小旗がありますので方向を間違えることはないと思います、但し、少々流されますし、海水の温度変化にさらされます。皆さんに負けず一生懸命泳ぎます、第二コーナーを曲がるとスタート地点に戻ります。浜辺に上がって、水分補給、また同様のスイムが始まります。後半はだいぶ選手がばらけているので安心して泳げるものの遅い為通り残された感じがあります。浜辺に上がって着替えのテントにダッシュ。海パンを脱ぎ、自転車の支度に着かえます。
自転車: 結果7:31:47 予定7時間40分 2017実績7:00:23
くもり空とはいえサングラス、着替えのブースから自転車のスタート地点50mまでまっしぐら。DHバーはさわりません。さーこれからが一大事のレース、途中でリタイアーまたは最悪事故にならなければと思い、上り坂を駆け上がります、サルがいたる所出没して、選手の食べかすを食べています。小雨がぱらついてきました、大雨にならなければいいですが、昨日と同じ天気だそうです。長時間ハンドルを使用するものの、右側のDHバーにも腕を載せられないと疲れがひどくなります。途中左だけのせて右側はハンドルを使用していたら、肩全体が痛くなり、まだ十分な距離があるのにどうなってしまうのかとの一抹の不安の中でのレースでした。
自転車はスタートから小雨で、1周手前から大雨、というより日本のゲリラ豪雨、何しろ側溝等が増水して道路にあふれ、横断しています。自転車の車輪の半分くらいまで水が増水して強い流れの為、ひっくり返りそうです。皆さんは自転車から降りて担いで渡ります、そういう箇所が2周回ですので、6ヶ所くらいありました。ディスクブレーキのかたは、注意が必要とのことでした。
この時期は雨季と乾季の境の為大雨になるそうです。(地元の方も驚いていました、こんなのは初めてだ、いたるところ床上浸水とのことです)面白いことに痙攣が来ません、佐渡同様、ユックリ乗っていては痙攣がおきないのだ、もう少し頑張れないのかと、自分に言い聞かせますが、自分なりに頑張っているのです。
こちらも、雨にはめげず2周回を終え、(工事中の為、いつもとコースが違います)自転車の終点で自転車を預け、ランの荷物を取り食料をポケットに入れ着替えます。
ラン: 結果4:11:58 予定4時間15分 2017実績4:36:14
サーこれからどんだけ走れるのか、榛名フルマラソン、越後の100kmの効果を見たいと自分に言い聞かせ、脚にも「頼むと」いいきかせます。ランの着かえからスタート地点まで100mは泥の道、既に靴の中は泥と、雨水で「ぐちゃ、ぐちゃ」でも、みんなそうですので、気を取り直してスタート、最初はゆっくりと思っていましたが、何だか足が前に進みます、ランのスタートから時計でタイムを計ったら、1kmまで何と4分55秒/kmでした。これはまずいと思い、だんだん1周回5分25秒まで落します。2周回目から最後までは6分05秒で走りました。途中食べたのはスイカ、ジェル系、水で仕上げました。あまりお腹がすいた感じが無く、走ることに不安はありましたが、何とかゴールできました。(ゴールの上段に、全体のスタートからのタイムと、個人の名前入りタイムが掲示されておりました。これには驚きです。13時間27分56秒)
ゴール後、テント内の椅子に座りこみ、15分位体をいやします。さて何かを食べるかと後ろを振り返ると体にやさしいものがあります。私は、鶏肉の煮込みにトマトペースを掛けていただきました。うまかったです。
雨もあがりました。重い足を引きずり1km近く離れたホテルに向けまだ走っている選手を横目に見ながら帰ります。ホテルには、風呂がありません、シャワーのみですが、全身にお湯をかけ、体を温めますが、シンから温まりませんね。着ていたもの、ランシューズ等を洗い、乾かないまでも部屋干しにしておきます。ベッドに横になりよくやったね、今回アイアンマンスロットは考えても仕方なく、13時間半近く、順番は5番目位でしょうか、自分にとっては体が少しコロナ前に戻せた気分になりました。でも3年(2019年アイアンマンハワイ)もたつと30分位タイムが落ちることに仕方がないのかなと納得してしまいました。少しゆっくりした後、ビールを頂きますが、全部飲みきれず少し残して布団に入りました。でもこの日は二度トイレに置きました。いつもはおきないのですが。どうしたのかな?
翌朝、7時朝食、食べるだけ食べます、昼食は食べません。皆さんも降りてきて食事になり、昨日のレース談議に花をさかせます。我々の仲間から3人アイアンマンハワイ(世界選手権)の切符を取ったということで、だれが取ったかわからなかったのでとにかくおめでとうと言いましたらみんなから、何を言っているの、一人は阪本さんよと言われました。これには驚き、自分が年代別で1位になるとは思ってもみませんでした。これはやったねと気分よくなりました。食事後、早速上機嫌で、皆さんとタクシー2台で自転車の回収にいきます。帰りは自走でご気楽気分、こんなのどかな場所でレースをしたのかと今日は快晴、晴れ晴れした気持ちになりました。早速ホテルで自転車を解体、自転車にも「有難う」と声をかけます、よくDHバーが外れなかったね、「有難う。」
9時からアイアンマンの発表、気をよくして皆さんと会場に向かいます。椅子に座って、喜びをかみしめていると、発表の時間になり、女性が最初です、次に男子の年配から、自分の年代になりました。壇上から、614番ジャパン シゲキ サカモトと読み上げられました。思い切り手を高く上げ壇上に進みます。解説者と握手を交わし、首に花束、アイアンマン出場メダルを頂きました。また仲間たちが写真を撮ってくださり最高の一日でした。
ホテルに帰り、少しうとうとしていると、メールで食事付の表彰会をしているとのこと、早速会場に足を運びます、私の表彰には間に合いました。1位から3位まで壇上で表彰されました(ランカウイの象徴:わしのマークの楯を頂きます)ビールも飲み放題、食事もお腹一杯食べます。
その後、ホテルに帰り、18時ロビーに集まり夕食に出かけました、5年前と違いビールはどこでも飲めますし、マレーシアの食事を堪能します。(メキシコ料理でした。)
翌朝7時朝食後、12時迄に荷物をフロントに預けなければなりません、チェックアウトです、18時ホテルを出発ですのでその間、何をしていたらいいのかと思いきや、皆さんからメールで(写真入り)スイム会場T1の先に眺望のいいゴンドラがありランカウイの観光地になっているとのこと、早速賛成。みんなして往復タクシーで行くことになりました。
まったくおもって、すごいゴンドラ、結構な数の観光者がいます。昨日は観光バスでいっぱいだそうです、頂上は曇っていましたが雲も一部切れると、素晴らしい眺望です、スイムのスタート地点、コースが丸見えです。
5年前は、日本円で15,000円昼食付のお墓廻りでしたが、今回はタクシー代と、入場料のみ、こんな安い観光ができるとは一緒の皆さんに感謝、感謝です。有難う。
少々時間がありましたので、今回マレーシアに来るのにアプリを取りこまなければなりませんでした。この厄介な事、同僚が親身になって教えてくれ難無をえました。同僚全員にもお土産を購入。
18時帰る時間です。ホテルに全員集合、観光バスでランカウイ空港に向け出発。ランカウイ空港からシンガポール空港です。外に出て観光をする時間は有りません。何時ものパターンです。23時シンガポールから成田に向かって飛び立ちます、機内では。来るときにはビール等酒類はなにも飲みませんでしたが、帰りはビール2缶を頂き、アイアンマンハワイのスロット獲得もありほろ酔い気分になり寝入りました。早朝5時成田に到着しました。皆さんと別れの挨拶をして、車で来た道を高崎に向かって走り。お昼頃到着しました。まさか、取れるとは考えてもみなかったアイアンマンハワイのスロット、1年後のレースの間は長いですが、精進したいと思います。また一緒のホテルに泊まった選手の皆さん、今回の旅は非常に心強かったです、この場を借りてお礼申し上げます。「有難うございました。またどこかで会えることがあると思います、その節はまた宜しくお願いします。皆さんお元気でいてください。
2022・11・5 TOTAL:13:27:56
S1:28:09
B7:31:47
R4:11:58
今回のアイアンマン マレーシア(ランカウイ)出場は、佐渡トライアスロンの結果を鑑み、自分としては満足できる状態ではなかった。このままタイムが落ちていくのか、現状維持になるのか、はたたま少しででももとの近いタイムにもどせるのか、自分に問いかけました。
また今年、このまま終わるのは(このタイムで年を越すことは、体がこのままになってしまう、このタイムを来年まで持ち越せない)自問自答の結果、まずい、これではまずいと急遽、アイアンマンマレーシアに申し込みました。このアイアンマン大会では、ハワイのスロットは当然考えておらず何しろ佐渡の大会よりも総合タイム(特に、自転車、マラソン)が良ければ目的は達成できるのだと思って参加しました。
それには、9月下旬の榛名湖フルマラソンにエントリーしているのでランでどこまでのタイムがだせるのか、自分に言い聞かせました。結果は年齢からするとまあまあとしました。10月に入り、榛名湖マラソンの結果を踏まえ、越後くびき野100kmマラソンで何とか完走をするのだと自分に言い聞かせ出場しました。100kmマラソンは3年ぶりなので途中、リタイアーが頭から離れませんでした。しかし何とか、完走しました。
タイムは5歳刻みの年代別1位でした。これなら、アイアンマン マレーシア(ランカウイ)の最後のマラソンで、暑さに負けなければ、佐渡より良いタイムで完走できると自分に言い聞かせました。